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ざます族天下

最近学校をドラマにしたモノが「ごくせん」以来よく放映される。
ごくせんはドラマ版とアニメ版があるがどちらかというとドラマ版の方が好きだ。
ともかくごくせんは爽快感がある。
ところがそれ以降のモノが全てとは言わないが「保護者の親」が手でくるようなドラマにあの爽快感を全く感じない。むしろ絶望感を感じる。さてそういうドラマに手で来る保護者の親は良かれ悪かれいい服を着ている。それは金持ちであってもそうでなくてもである。
あまりに様相がよく「〜ざます」と言っていたおばはんを思い起こすので今日から「ざます族」と呼ぶことにした。
そのざます族、先ほどは金持ちを彷彿させると言った。これが少子化と言われているだけでなく低所得層がとうとう子供を産めなくなった時代、学校はざます族天下になる。

まず低所得層が子供を産めなくなるという話からすると、某所では結婚自体が大型ローンであると述べられている。事実そうである。さらにそこに…なんというか、別の言い方でビジネスを始めるに当たって集客が必要だが、それには自分の所を宣伝せねばならずその一つとして広告を出すと言うことになる。その広告費のようなモノである。
子供を育てると言うことは、ビジネスを始めるに当たってものを大量購入し、さらにそこに売るために広告を打つと言うことになる。
結婚しただけですでにお金が消えていく要素満載なのに、子供を育てるとなるともう一家の将来は子供の養育だけとなる。昔はそれも貫禄の一つというのか甲斐性の一つとも考えられ、さらには国からの支援もあったことだろう。しかしそれを見込める当てがなくなったのはもうすでに周知の通り。さらに結婚に至るまで給料何ヶ月文化分からないダイヤの指輪をかったとか海外旅行までいったとなれば…それで後々奥さんとなった人に知りに引かれたのではたまったモノではない。さらにここのブログでは何度も書いたが、その奥さんは旦那の愛より給料がほしいという有様…になってくる。新婚当初は「愛」だけで食っていきそうな勢いから一転するのだ。
そこへ子供となれば夫婦の中の明暗を左右することになる。
小生は結婚しないことを小学五年の頃から考えていた。たぶんそのときにはこんな理屈がこねられるほど考えは至っていなかっただろうが、あとで知ったが女性とつきあうことはお金がかかるのだ。これを愛というごまかしでカバーできるのか。不明だ。ひょっとしたらこんな御託をこねる前に本能的にそれを悟ったのかもしれない。

低所得層の人間が子供を産まなくなれば収入の格差が大きく広がる。国内全土ではその問題は割り切れないが、学校内ではそれが顕著となる。ほとんどが金持ちの子供でその残りがそうでない親の子供となる。さらにその子供のなかで…金持ちまたはそうでない関係無しに…似たような理論を感じ取ったとすれば…学校の絶対数が減ってくる。
それは過疎化で村がなくなるのと一緒の定理だ。

そして金持ちの子供しか学校に来なくなれば当然その親は「ざます族」であるから学校はざます族の天下となる。そして教育の改悪がさらに加速するという一見「風が吹いて桶屋が儲かる」と言う話になってくる。
ちなみに「風が吹いて桶屋が儲かる」は江戸時代のマクロ経済(大きな経済)の流れを表現したことわざであるが、これは教育の悪劣化と言うことである。これは公立の学校で行われる。
さらには公立の学校で学ばせるといい子に育たないとなり、日本の教育制度が崩壊をたどる。と言うことで私立だけの世界が広がる。これで日本の教育要綱通りにならない教師が増えその生徒が出来る。これが悪いともいいとも言えない。あれ?これはこれでもいいかなと思うが、憲法違反である。
by youkeiexc | 2005-08-30 14:22 | 教師バカギレ物語 | Trackback | Comments(0)
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