カテゴリ:ぶっちゃけ→他事騒音( 28 )

はっーはっはっはっはっーーーー!

巷ではホワイトバンドなる物があるそうだが、小生はある理由にて買わない事を決めている。その生産国が中国産である。
このホワイトバンドがなんのためにあるかと言えば「ほっとけないまずしさ」のためにある筈なのだから今の成長株に作らせるというのは本末転倒である。
そんな簡単な理由でホワイトバンドは無視していた。
そこへこの話だ。
白い腕輪「ホワイトバンド」を目印に、
世界の貧困をなくす活動を進める「ほっとけない 世界のまずしさ」
キャンペーンの実行委員会などが8日、東京都内で記者会見し、
ホワイトバンドの売り上げから25万ドル(約2900万円)を
「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」に拠出すると発表した。

大 馬 鹿 者 !
としか言いようがない。
それは参加した人にも…と言いたいが、これを買う事によって「ほっとけないまずしさ」の解消を願った人にとっては踏んだり蹴ったり。そんな気持ちを察しないわけにはいかない。
こういう事は歌手のチャリティー活動の方がよっぽど効果がある。
なぜなら歌手がそれをすれば確実にそれが達成される。なぜなら自らの人気を人質にするので達成されなかった場合どのようになるかは明白である。
なぜホワイトバンドはこういう味方をつけなかったのかが…そこが疑問だ。
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by youkeiexc | 2005-11-12 23:08 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback(2) | Comments(0)

実写版という不愉快

某タレントが昔こんな事を言っていたが実は結構有名な話である。
鉄腕アトムについての事だった。
話によると鉄腕アトムは先に実写版の方から一度きりで放映された。
その後名作と言われるアニメ版の放映がされたが、この実写版最後のシメがとてつもなくよくなかったという。何せ正体をばらしているので子供の夢をぶちこわしという物である。さらにはとてもかっこわるく見える髪型は今見ても誰もが「まずい」と言うほどであるろう。

さて、現在はなぜかコミックから実写版、元々アニメだった物を実写化しているケースが多い事多い事。さすがに「鉄腕アトム」のそれには当たる所はないが、そう言う物に頼らざる得ない事を痛感しつつ、小生としてはアニメの世界をドラマに引っ張ってくれないでほしいと切に願うのである。
もっとも心の中で激怒したのは「逮捕しちゃうぞ」と言う作品。
アニメ版は全国放映されることなくテレビ東京系列のテレビ局がある所でしか見る事が出来なかったに関わらず、テレビ朝日でドラマ化された。なんと広島でも見れたのである。

ふざけるな!


誰でも良いから「逮捕しちゃうぞ」の放映に関わった奴をさらし首にしたい。アニメだったら広島とかで見れずにドラマでは全国放映。なんだこれ。
あほかと。ばかかと。しねやと。
それを考えるだけではらわたが煮えくりかえる思いであるがなかなか分かってもらえそうにない怒りである事も事実だ。

さて、最近のドラマを含めたものの傾向としては後ろ向きな物が多い。
もしくはそう言われている。
今「三丁目の夕日」なんて映画があるがこんな映画、若者に「昔はよかった」と言い付いて終わりであろうと予測している。「昔賛歌」はやる事が間違っている。しかし若者にそれを跳ね返す力がない事はあるのかも知れない。

実写化してほしくないアニメは数多くある。
残念ながらセーラームーンは朝から実写版をやっていたし、少女漫画のリボンでアニメ化になった物の一部はミュージカルとかと言って実写化が行われていた。うまい事出来ているのであれば問題ないが二次元の表現方法は絶対三次元では通用しない上、やった時点でものすごく不自然である。
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by youkeiexc | 2005-11-01 22:48 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

あの感想文には続きがありました

以前「電波男」の読書感想文を披露したが、あの文章にはまだ続きがある。

昔小学校の音楽の授業で海援隊の贈る言葉を習った。
なんの事はない、かの有名な金八先生といえば…と言うぐらいセットであるほど有名であるが、この歌詞の一部に驚愕した事があった。
何処でも公開されているようなのでここに全歌詞を引用する。

暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉
悲しみこらえて 微笑むよりも
涙かれるまで 泣くほうがいい
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから
さよならだけでは さびしすぎるから
愛するあなたへ 贈る言葉

夕暮れの風に 途切れたけれど
終わりまで聞いて 贈る言葉
信じられぬと 嘆くよりも
人を信じて 傷つくほうがいい
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから
はじめて愛した あなたのために
飾りもつけずに 贈る言葉

これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
遠ざかる影が 人込みに消えた
もう届かない 贈る言葉
もう届かない 贈る言葉

考えようによっては今の時代に「これをやったら」危険という物もあったりする。
こういう物は時代を反映する物なので今に当てはまらないのは当たり前である。しかし歌なので今の時代にあった音にして歌って良い事は「FLOW」が証明している。
と言いながらも三番目の歌詞には普遍的な物を感じない事もない。

さて驚愕の歌詞の事である。どれの事になるかおわかりだろうか。
ヒントとして、その当時の小生というのは将来に対してものすごく恐怖感を覚えていた。それは年金云々、国民保険云々の話が始まる前からの事だ。人に対してはそれがものすごく強かったと記憶している。
そんな奴があの歌詞の一部に驚愕した。それは…
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから

である。

優しさを求める事は臆病者のやる事なのだ。
ところが恋愛とかに関しては一時期は「やさしさ」がもてはやされた時期があったのだ。
その当時は「優しさの時代」といった事もあり「心の時代」といった事もある。それは丁度バブルが崩壊した頃より数年後の事である。
やさしさにひかれ結婚までを考える。ならば相手が急に豹変したらどういう事になるか。
あの書には「負け犬」女が豹変する例を描いている。
何もないただ優しい男は「負け犬」の前ではただの奴隷に成り下がる。

優しさってなんだろう。
臆病者が求めるだけの物だろうか。
ところが「電波男」では優しさで恋愛が成就するとは書いていない。
では何がどうなのか。
共通の物が必要である。
たまたま「電波男」ではそれをおたく趣味であるとして取り上げていた。またはそれを理解する事であるともといている。
早い話、お互い趣味が合えば優しさなんぞはあとからオプションでついてくるような物なのだ。
また、趣味があっても認め合わなければなんにもならないから相手の趣味を認める事も必要である。それは自分はやらない場合である。

その理論からして何度も繰り替えずが「電車男」は事件なのである。
悪く言われながらも他人に全くの危害を加えないどころが市場を築きあげている「真の意味での新しい時代の人」を欠点だらけの世界の住人へと戻すのはとても好ましくない。
昔ヒッピーとかの時代があった。その人達は歴史に名をはせた。
今オタクという人たちがいる。きっとそういう人たちも歴史に名をはせる事になるだろう。
悪い言われるか否かは今の努力次第であるが、もう一度オタクが叩かれる点を我流に整理してみる。
とても簡単な事だ。
アニメである。
いまだにアニメは日本の文化と言われながらも大半の人がそれに全く賛同すらしていないと言って過言ではない。もっと言えばアニメは日本の恥さらしであり、その元がオタクであり、もっと簡単に言うと、「いい年扱いてアニメかよ!」

最後に今オタクが多くなっている理由は
優しさを求めようにも現実に転がっていないからだ。
優しさを求める事は臆病者かも知れないが、
優しさを求められないのは悲惨であり、悲劇である。
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by youkeiexc | 2005-10-14 23:19 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

ソバ料亭

ある時代劇の話で、ソバの有名な所へある一行がやってきた。
まず一軒は半ば強引に入らされて様々な料理を食べさせられる。ところが頼んだ物はそば。
そのものはいよいよ最後の最後で出てきた。のびていた。
とてもまずくて食えた物ではないので二軒目の庶民的なところへ入っていった。そこのソバは格別にうまく見た目はどうあれ一軒目のそれとは比べものにならないうまさ。たいそう満足にソバを食したそうである。

さて、歌番組である。
あるところの物は短い時間において集中的に歌番組たる要素を見せつける。
ところが現在のほとんどの歌番組は丁度ソバ料亭と言っていい。代表的な物で露骨に歌に入ったところで視聴率が落ちるのでトーク番組とかしているうたばんがある。これは丁度ソバを頼んだのにうどんを出してくるところであるので論外である。
さて昔のFAN以外ろくに歌番組を作った事がない日テレの歌番組が丁度そのソバ料亭である。
歌番組なのに歌手ではなく芸人が出てくる。さらに歌うのであるからどうしたらいいのか。またこれで歌唱力があった日にはさらにどうしたらいいか分からない。さすがにミュージックステーションぐらいの程度で抑えておけばいい物を余計な物を出しすぎである。敢えて日テレの番組には日テレ丸ごと有害指定としまともな批判をしないつもりでいたが、スコップで掘って出てきてしまった。今でこそネタ芸人主導型のバラエティー番組を運営できるようになった日テレとしては安泰として考えられるであろうが、何でもかんでも無駄が多すぎる。以前あるクイズ番組でも実質クイズと関係ない芸人を出し過ぎインターネットでのニュースで叩かれていた事を思い起こす。今日本一大きなソバ料亭はまさに日テレである。


さて次に今日考えついた事であるが、楽曲のレベルをカレーで指標出来るのではと考えた。
ちなみに現在の楽曲はカレールーを入れていない野菜スープのような物として一刀両断できる。
中にはスープカレーのような物もあるが何処を最高レベルとするかによる。
小生の場合を最高レベル順から申し上げるとしよう。

1 だしがきいており適度な流動性がありほどほどに辛口
2 ひたすら辛い(良い悪いではなく挑戦してみたい)
3 入った店のムードによる
4 某ファミリーレストランの物
5 スープカレー
6 カレールーなし
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by youkeiexc | 2005-09-30 22:00 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

エイベックスはアレだけどあれじゃない。

さて、ネットで大騒動になっている話でエイベックスが「のまネコ」と称してモナーを商標登録したことがエイベックスの叩かれどころになっているが悪い事は続くモノで、…この際エイベックスは倒産するぐらいの障害を与えられた方がいいのだが…「のまネコ」のせいでもう一つ悪い事が発覚した。
「のまネコ」と言うだけあってキャラクターは曲の中盤で一升瓶を持ち出し「米酒だ」と言い出す。これがまた問題を呼び「一難去らずしてまた一難」となっている。
物を伝える事はたやすいことではないことの一例としてみるべきであろう。
伝えるべきが伝わらず通じないだけならまだいいがその表現上、誤解を生んでしまった場合は収拾がつかなくなる。よく「そういう意味じゃあ…」と言う言葉を発せざる得ない状況があるが、相手にはそう伝わってしまった、そう捕らえられてしまった点ではいくら謝ってもその本人の先入観等の理由が複合的に混ざっているので取り消しは効かない。それで失った信用は二度と戻らないのであるから…正確に言うと言葉では信用回復が出来ない。それは相手の思考回路が完全に取り繕いの言葉を遮断している。それを取り除くには行動でしかない。しかも場合により何万回も繰り返す必要がある。それでだめならあきらめもつくが、とてもそこまでに行き着かないだろう。

さてのまネコが引いてしまったもう一つの貧乏くじは
アルハラである。某クレジットカードのアルバラではない。
アルハラはアルコールハラスメントの略で
「無理矢理お酒を飲まされてそれにより危害が加えられる」状態という物だろうか。
・呑まないとゆるさん
・あいつがのんだからおまえも呑め
…三つも挙げる事は無かろう。単純に言うと飲みたくないものを飲まされるという事だ。
のまのまいぇいがアルハラの音頭取りになると言う物だ。
あまい!あますぎる!メイプルシロップぐらいに甘すぎる。

人に酒を強要した時点で

アルハラなんだよーー大馬鹿者!


のまのまいぇいはそれの効果を高めてしまっただけで酒飲みは何かにつけて飲めない奴を「教育」しようとするモンなんだよ!だから仕舞いには理屈に合わない事ばかり言うの。飲めなきゃ男じゃないとかね。
それが世間に存在する常識のような物だ!


これは小生の昔話になるが酒飲みしかいないところでは未成年などは関係ない。
酒飲みは酒か飲める事が一人前と考えており、またそれを法律のように考えている。飲み癖が悪い人ほど飲めない人は法律違反のようにしてみる場合がある。もしかしたら憲法違反レベルかも知れない。と言う事で公に禁酒をしたとする。
大抵の人は酒をやめるがあとの人は麻薬所持をするかのような事をやるようになる。これがアメリカで実際に禁酒法を公布したあとに起こっていた問題だった。
アルハラ防止のために禁酒法を制定するという事は実を言うと諸刃の刃。
酒屋が困るのは目に見えているので議論の余地はないが、隠れてお酒を飲むようになるので違う意味で悲劇が起こされるに違いない。

これを書く気にさせたブログ
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20050914/1126700423
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by youkeiexc | 2005-09-18 22:22 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback(4) | Comments(0)

オタクよ趣味人であれ

今日のお題は小生がモットーとしていた言葉を紹介する。

趣味人

書いて字のごとく趣味に生きる人である。

さてこの言葉の深い意味を語る前に某所で行われている感想文コンテスト用提出作品もかねて「電車男」ならぬ「電波男」の感想を述べる。
さすがに感想文をまともに書くのがちょっと苦手だったりするが、感じた印象を久々に箇条書きにしてみる。

○電車男というのは物語ではなく事件だった
○人生の学術書
○このまま生きていい
上の二つは提出を意識して前もってテキストを公開しなかった。最後の一つは今日の本題としよう。
それに関するところ
http://hakuren.hp.infoseek.co.jp/youkou.html

−−提出用テキスト全文−−

「それは純愛モノ語りではなく事件だった」
人に何かを送るという事は贈られた人にとって非常にいいはずなのだが、どうもそれを感じなかったのが「電車男」。
さて、小生は「電車男」には全く関心を持たなかったが、ある一冊の本でその中身を知り、さらに人生の生き方としてこういう事をやってもいい教えをいただいたような気にまでなった。
それが「電波男」。
ある一文を試しにその大本のサイトで読んだ。
少々引用させていただく。
キャバクラ=宝くじ
風俗=レンタル
恋人=リース
結婚=ローン
こんな事を書いている本の先が読みたくなった。そして読み進めていった結果こんな言葉に出くわす。
恋愛資本主義
こんな言葉誰も教えてくれなかったし、とても衝撃的だった。
恋愛は今やただでは出来ない。元々する気はないので別にそんな言葉を知ったところでどうでもいいが、読み進めた。

これは人生の学術書だ。そう思った。

そのあと小生はこういう事を考えつくようになった。
女性による男の買収。
会社が買収をすればニュースになる事件だ。
ところがエルメスが電車男をカップで買収し、それと引き替えに何かを要求したとすれば…事件である。
物を贈る事はいい。しかし贈る際には気持ちが重要で、そこで何かを求めるのは取引である。さらに電車男という名スレは出版社がコピーペーストしただけという至って本としては失格なのではないのかという有様。何せそこに書き込みをした者達に印税は発生しない。出版社は濡れ手で粟。ぼろ儲けとはまさにこのことである。そしてこの電車男を「恋する事はすばらしい」とか何とかの物にしてしまったそうだが、そこに集まったのはまさに金の亡者…と言っておこうか。
さらに電波男では今の女性の不潔さをことごとく書き叩いている。町を歩いている女性でまともなのはいないとか。

それはそうと電波男は電車男へのただの対抗作品と見られやすいが、たまたまタイトルがそうなってしまっただけか最適な物が他になかった事を実感できる。
同書では清く楽しく行きてく方法を提示してくれる。それを習得さえすれば何も結婚だけが全てではない。恋愛する義務など感じる事もない。浮気がばれないように対策を講じる必要すらもないし、まかり間違ってそれに泣く事もない。
さらに電車男みたいな目にある必要がなくなってくる。そして運がよければ誰もが求めている心の通い合った恋愛に発展が出来る人も手で来るのだろう。

−−ここまでが提出用テキスト−−

さて今日の本題は趣味人である。
まず趣味人は例え相手がその人生観を否定しても本人自体はそれを続ける事が出来る。
否定されたからと言ってやめる必要はないと言う事である。それを決めるのは何においても自分の意志である。相当の価値観の変化が起これば本人自身の意志によってやめるという結論を出す事もあるだろう。しかし大抵の場合自分が嫌々やっている訳ではないのでやめる必要はない。
恋愛をしたいがためにもてない趣味をどうにかしなければならないなんて事を考えるようではそれは間違っている。
アニメだろうがゲームだろうが今それはオタクとくくっているが趣味ともくくる事が出来る。
趣味はアニメです。
趣味はゲームです。
どこに食い違いとか違和感があるだろうか。
こんないい言葉を忘れてはいけない。ただ極めているが故にオタクとも言われているのだろう。
某所にて小生は「真のオタクは堅い」といった。
ある一つ事に通常以上の情熱を持ちそのことに関しては誰にも負けない。
勝ち負けを抜きにしてもその手の方には長けている。ただ仕事でやっているのではないためプロではない。
趣味を恋人にすればわざわざ恋愛をしに行く必要もない。むしろ趣味にお金をつぎ込み始めればそういう事をしようなどという考えは早々もたげて来ない。もし恋愛をするために趣味をやめなければならないとすれば相手側にその理解がない。今まで趣味をやっていた人がいきなりそれをやめた場合それがそれ以上の保証を確保してくれるのか。そんな物はあり得ないはずだ。だから一つ趣味を持てばそのまま生きていい。減らす増やすは勝手。さらに老後の心の対策はばっちりである。実を言うとこんな大きなおまけを絶対に見逃してはいけない。いま老後のボケ防止のために趣味を発掘しているくらいなのでとても消極的であるがそういう事がある。しかし趣味人はここが違う。積極的なのだ。故に誰かに負ける事もなければわざわざ老後のボケなんか心配していられないのだ。ちなみに今まで仕事一本、仕事しか知らない人が今危険と言われているだけだが趣味なんて物は早々簡単に見つかる訳ではないし、身に付く物でもなかろう。
小さい頃から自然に培われた感性に頼り求め続けた結果が今の趣味につながったり、ひとときの好奇心で得た物が趣味になっている場合がある。それはとてもかけがえのない物である。それを恋愛のためだけに投げ出す必要はない。それをやろうとしたら間違いであろう。
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by youkeiexc | 2005-09-16 00:03 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

IAKでは初のお題

今まで取り上げたことがなかったモノを発見した。
それはマナー。
あるところで発見した記事で今日はこれを書くことにした。
http://teo.cocolog-nifty.com/column/2005/08/off10_b688.html
http://kira-meki.at.webry.info/200508/article_11.html
後者の方には残暑見舞い代わりにトラックバックをさせていただく。

とにかく電車に関してのマナーで議論がつきることはない。
小生としては劣悪な車内環境をマナーで乗り切ってくれといっている風にも見えるが、とにかく通勤ラッシュは首都圏であれば満員電車。地方でも座れない人が多数発生する。満員電車であれば地べたに座れないのでそんなに咎められる数は多くない。しかしどこでもあるのが痴漢と携帯電話。
冒頭で取り上げたのは携帯電話の方だ。
電車に乗れば勝手に電源が切れると言うことだ。
携帯電話の電源を電車の中出来るというのは実際には相当貴重な方と思われるくらい車内で携帯電話を使っている人が多い。中には絶対に電源を切るわけにいかない状況の人もいればペースメーカーをつけている人もいる。だからといって「ペースメーカーつけている人」専用車両なんてあり得ないのが現在であり現実である。車いすに関しては最近特別スペースを設けている場合があるが、どうもペースメーカーをつけている人は外見的に「普通」の人であることが多く、どうもそういう対策を取りづらい。そうなればもっぱら差別という言葉がよぎる。いくら区別と説明しても納得しない人はいる。
さて携帯電話だ。携帯電話に関するマナーは実は進化している。
初めは車内で携帯電話で通話するなだったが
次に音が鳴らなければいいという範疇になった。
その逃げ道のようなモノでメールで「通話」と言うことをやっている人もいるのではなかろうか。ところが今度は電磁波が問題になった。そこから発展したのが電源を切ると言うこと。実際にJR東日本では電源を切るようにと注意している場合があったのではなかろうか。
早い話電車の中ではどんな話が来ても「電車の中だから」と許してもらいなさいと言う戦術をとろうと言うことか。しかしそれを許さないのかまたこの日本であり、電車でのマナーを守ったばっかりに「そんないいわけは聞かん馬鹿ちんが!貴様なんか首だ!」と言う人が居たりするのも事実ではなかろうか。そもそも便利さを求めた結果の自業自得としか言いようがないが、日本人であれば電車の中ぐらい静かでいたいと考えてるから携帯電話は電源をつけていること自体がマナー違反なのだろうとも思う。よその国の話をしてもしょうがないが、おしゃべりが好きなのでしゃべりたいようにしゃべると言うらしい。

マナーが一番の弱点としているところは人間の良心に訴えるだけという点である。
そのためとうとうそれに耐えかねて「電車内自動電源切」と言うことを考えついたのだろう。
だがちょっとまってほしい。それでいいのか?どうせ導入するならまず飛行機だろ。飛行機の方が電車より危ないことは周知のことだが、さらにあっちの方が機器類全てにおいて人命を預かるようなモノだ。さらに携帯電話等の電磁波は大敵という。やるならそっちにしろ。
だが、電車は仕組みは至って簡単。ぶっちゃけた話原理的にモーターがあれば動きブレーキが効けば止まる。電車に関しての電気機器は携帯電話の電磁波で狂うほどやわではない。何分数千ボルト…交流区間では数万ボルトを扱うわけだから携帯電話の電磁波で狂ってられない。
だがマナーである。
マナーが一番の弱点としているところは人間の良心に訴えるだけという点。
電車に乗っている以上は皆安心しきっているし危機感もない。だからマナーを守ることをしようとしない。マナーを守らないのはそういうことがあるのかもしれない。さらにペースメーカーをつけている人は大抵普通の人と一緒で外見から分からない。
「携帯電話使ってる奴ら、そこのおまえだ!おまえは殺人犯だ!わかってんのか」と言う脅しまがいのことを言って歩く人が居ない以上マナーを「守らないと死に直面するか危機に遭遇する」と言うレベルまでの意識にならない。
もしマナーが「守らないと死に直面するか危機に遭遇する」モノであったらみんな守っているはずである。電車のマナーがどれだけ軽んじられているかと言うことだ。

ちなみに「携帯電話使ってる奴ら、そこのおまえだ!おまえは殺人犯だ!わかってんのか」というのは実際の台詞は忘れたが実話である。幸い小生は携帯電話嫌いで電車の中では絶対に電源を切っていたのでそのおじさんに怒鳴られることはなかったが、おかげで大いに不愉快な気持ちになった。
「せっかく電化区間なのに乗ってる列車がディーゼルでしかも急行型わーいわーい」という人の旅情気分を概してもらいたくない。



マナーが徹底しないのは危機感より思いやりの問題なのかもしれない。
とはいえ自動で携帯電話の電源が切れるとなるとマナーを学べる人間は減ってくるのではなかろうかといろいろ考えてしまうモノだ。
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by youkeiexc | 2005-08-30 12:04 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(1)

これが本音と建前なのか。

ここでモノを書くとき常に本音だ。
だから建前などお構いなしなので時として勢いで馬鹿発言を含んでいる場合がある。
しかし本音でしか書かないので、良きも悪きも本音でぶつかってくる人がいる。
「氏ね」って書き込みもあった。
本当に建前でモノを書いた覚えがない。正確に言うと建前という言葉がよぎった事がない。

さて、こういう話でなんだが、うちに不幸があった。
つまり親父が死んだのだが、
一方では「不幸せな家庭に生まれたけども、たくさんの子供と優しい奥さんに看取られて幸せでしたね」といい、
方や一方は「相当悔いのある死に方でしたよ。息子達が結婚もせず孫の顔も見せてもらえなかったんですから。」とまで言ったかどうかは知らないが、
頼むから「幸せな死に方をした」でとどめておいてくれ。
そう思う。心から。
親父に対していい感情を持つ事がなかった小生だが、大なり小なりあった。いろいろと。ただそれをうまい事言葉にする事はとうとう無かった。親父の方もそうする事はなかったと言われている。
小さな意味での「ありがとう」はあっても大きな意味でのその言葉を交わす事はなかったという事のように。
成仏してほしい。今はただ心からそう思うだけなので「方や一方」の台詞が気にくわない。

あとで…もっと言うと今日なのだが、それを本音と建て前という事に気づいた。
本音と建て前の格差の大きさを知れば知るほど恐ろしさが増してくる。
しかしそれは良かれ悪かれ日本で培われたモノで嘘を言っているわけではない。ここ数十年間、それを嘘だと言い切る分からず屋が増えてきたが、人の事を思う故に出来たモノである。とはいえ本音と建て前の格差が大きくなるにつれてます本音のどす黒さ。それを解放した日には大変である。
ところが今だ日本を的にする反日三兄弟と言われる三国は最近それの使い方を習得したようである。
見よ。反日三兄弟本音のどす黒さを。そのうちそのどす黒さが日本をむしばんでいくのが見えてしまいそうである。一個人レベルではそれをどうする事も出来ない。ただそうなってしまう日が自分の世代でない事だけを祈るのみである。

もう一度言わせてほしい。
知るよしはないが
親父は人並みの幸せな死に方をしたのだと思う。以上で述べた事の意味も含めて。
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by youkeiexc | 2005-08-25 00:57 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

昨日の話より

昨日は小生があった二度の長期のいじめについて話をし、さらにそこには小生を下に見るようになっていたクラスのモノの修正にちょっとだけ振れたような格好であったが、この「下に見る」と言う根本は様々であるが、ここでは小生が小学校当時、養護学級に通っていた事を話そうか。

あるプリントが配られた。それには養護学級に通うモノがクラスのモノに差別を受けていた。
養護学級なので何かがあると言う事で通っているわけだが、基本的には障害者が通うモノである。
つまり小生は小学校時分、障害者と言われる枠に入っていたのだ。
「枠に入っていた」だけと言っておこう。
手も両手両足ある。指は手足ともに10本ある。確かになかったらそれはそれで障害という事になるが、頭脳的なモノで障害と認定されていたようだ。別の言葉で言うと知恵遅れと言われる物であるが、実際小生がその頃にIQのテストをしたところなかなかの高得点を叩いていたともっぱらの噂だったらしい。しかし現実はそれと全く関係なく憂鬱な小学生時代を過ごしていた。やがては例のいじめというのか差別される事になっていくのだが、どう考えても養護学級に入っていなかったらそういう事にならないと当時は考えていたモノで親と養護学級の先生に辞めさせてくれといった事もある。さらにクラスの宿題と養護学級の宿題と通信講座の宿題付けになり…たとえて言うならばサラ金を3社ぐらい100万円ずつ借りてあとで支払いが滞っていたような地獄の状態があった。さらにクラスの方の宿題をやらなかったらそれはもう地獄の沙汰が待っていた。そんなに宿題なんか出来ないと養護学級の宿題の方がどんどんおろそかになっていった。小学校の憂鬱さはもっとほかにもあるが、これ以上はやめておく。

養護学級とは普通の学校の中にあり、小生の場合特定の科目の時だけそこに通うというモノであったが、これが5,6年あたりになると故意的と言っていいほど通えない日が多くなっていた。小学校の時間割はこの世で一番当てにならず、それがあるのに毎日日替わりのためその日替わりのモノと時間割で決めているのが合わないと養護学級に行く事は出来ない。そういう事を先生の方が完全に故意にやっていたと言う事だ。
無論養護学級に行けばその時間小生がいなくなるわけで、何かしらのよくない感情を抱く者もいたのであろう。
何分養護学級は障害がある奴が行くところと相場は決まっているから障害者を差別するような風潮の所ではどうなるかは言わずもがなである。

どうせなら養護学校へ行った方がまだましだった。
…と言いたいところであるが、小中高一貫して養護学校ならいいが、そこに中途半端になれてあとで普通の学校、転校したような形になったとしたら…。この悲劇の方が大きい事は容易に想像がつく。
よく世間は甘くないという人が大半であるが、甘くないを通り越して恐ろしいといった方がお似合いである。
そう、この世は甘くない。この世はどこでも恐ろしいのだ。
今の教育システムがどうなのかいざしれず、恐ろしい世の中を作る、また構成するための人間を今日も製造し続けている事であろう。これが「犯罪者」でないところがたちが悪い。

人間は恐ろしい。自分はどうなんだという矛盾を抜きにしても恐ろしい。
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by youkeiexc | 2005-08-25 00:35 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)

外国でアニメが発達しなかったわけ。それと…

今なら細木和子氏が述べた「女に心はない」と言う理由がなぜかよく分かる。
いやその言葉の何かを感じられる。

さて日本には一部の人が恥としているもの、世界では結構名高いアニメという文化がある。
…という割りには日本のほとんどのアニメは日本全土で見る事は出来ないが、なぜかその日本において明らかな現状がある。日本の男はもてはやされていないという事実。
ちょっと待てよ。これってアニメが日本の男性がもてはやされないその一因に寄与しているという書き方になってしまった。が、それは心配ご無用。現実の女が心を求めていないのがその大本である。
女の求めているもの、一概にとは言わないにしてもまず顔。
次に中身以外の何か。
分かっているであろうと思うが、中身とは心の事。よく顔で何とも出来ない人はこの言葉を必ず用いる。そこから全ての間違いが始まる。中身なんてそれに剃った表現をしない以上絶対に見える事は出来ない。故に、オタクという人種がいる。…オタクという言葉自体はとても失礼な言葉であるが、敢えて用いる事にする。
えっ?このブログのどこかでも使っている?それは申し訳ない。ただ失礼な意味で使った覚えはないのでご了承願いたい。中身が見える人たちだらけであればそもそも伝えるための言葉は必要としない。しかし中身が見えないのでどうしても言葉がいるのだが、その言葉の半分は信用のおけない言葉である。それのいい例として一度何かをやらかした奴が1000回誠意を持って謝ってもなかなか通じない。むしろ遮断されてしまっている。さらに言うと実際に自分は儲けている手法を紹介しても信用されない。
言葉がどれだけ軽んじられているか。

ところが見た目がよければどんな言葉でも一発で通ってしまう。例え裏に悪意があったとしても通過しやすい。だませるのである。見た目が悪い奴はどうなるのかというと、「一度何かをやらかした奴が1000回誠意を持って謝ってもなかなか通じない。」様な状態と似たものになる。
見た目がだめでも中身以外の何か…お金がある人とかがお金にものを言わせる事がある。実際にその手は使える手なので持っている人はあるだけその力を使う。
じゃあ次に何があるのかと言えば…それは分からない。
私の特技はこれです…って言ったって会社の面接じゃああるまいし。

見た目とお金というものに…さらには高学歴という男にとっての地獄の三条件がバブル期あたりに確立してしまった。一部ではやはりこれからは心で通じ合いましょうということが言われていたが、「電車男」と言う事件を目の当たりにしてそれはあっさり否定されるようになったのかもしれない。何せ助けてもらったから私とつきあいなさいですよ。さらにはティーカップで買収。落とし物を拾ったんじゃあるまいし。

ティーカップを贈ったあなたは
遺失物法で言うところの遺失物ですか!



さて日本にはアニメオタクと言われるそれ以外の人たちに迫害という憂き目を強いられている人たちがいる。
最近はその中に萌えオタクとか言われている人たちもいるが、外国にはそういう人たちはいない…と言いきるわけにはいかないが、「女より自らの趣味」を取った者達がいる。それが日本においては伝染病患者のような扱い。さらには脱オタさせる事がよい事とされている。
ここ数年前に心の時代とほざいた人は誰ですか!
もし、その人の事を理解するのであればその人の趣味にも理解を示さない以上、何も成り立たない。

女が理解せず求めるだけになってから対象が日本の男から外国人にすり替わっていった。
そのときから日本の男の悲劇は始まっていたのかもしれない。
それと今日のアニメの発展は関係ないが、影響は及ぼしているとは思う。なにせいまだにアニメを見ている人間は女にもてないとされているからだ。
一時期「萌え」アニメの乱発に危機感を感じていたが、未だ続くアニメオタクの迫害を知り、未だ顔と金品がない以上女性といい仲になれない事を知り、それを理解できた気がする。

さて外国でこういったたぐいの事が起こっていないのはまだ「男は男らしく」「女は女らしく」が生きているそうだ。
思考も明快で「男は男らしく」「女は女らしく」で異性を探す人もいるようである。「何々らしく」というのはその体をなしているものを指すのだからさすがに外見で終わりというわけではないようだ。絶対とは言えないが。
外国では日本の女性みたいに「外国人に」ちやほやしているという話をなかなか聞かない。いや、報道されていないだけかもしれないが、とにかく聞かない。
外国でアニメが発達しなかったのは単純に必要とされていなかったと言うべきだろうか。
よく絵画で知られるところで絵のうまい人がアニメに携わる事はないだろうし、アニメ留学はいまだにいない。

…と言う事でこれを見ている外国の方、アニメ留学しましょう。
いるかなー…いないだろーなー
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by youkeiexc | 2005-08-22 22:22 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback(1) | Comments(2)