カテゴリ:ぶっちゃけリローテッド( 24 )

酒と女の話しか出てこなかったら気をつけろ

今日は僕が会社勤めがちょくちょくいやになる原因のひとつを挙げるとまわりのひとが「タイトル通り」の話しか持ってこないことです。これは大きいんですよ。仕事をバリバリしない人にとっては。

さて「ぶちゃっけシリーズ」もそろそろ3年目が来ようとしているのですが、今のところどのくらい書いたのでしょうか。わかりませんな。

今回言いたいことは
「世間と自分の嗜好が全然違う場合、どこの会社でもつとまらない」ことです。
逆に会社の人の嗜好と完全に合えば後はどうでも良いと言うことです。
例えばなぜ土建屋の人たちの人たちの多くの人から芋版を押したように「文化のにおい」を感じないのかと言うのか、やくざっぽい印象があるのでしょうか。それは、それ以外の方向の人たちは「人間性が合わない」と言ってやめている可能性が高いと言えるからです。だからああ言うふうになるわけです。
それにたいていの人は趣味を持つことはいい事だと言いつつ、趣味にお金を使いません。
たばこと女と酒から手を引けば趣味に使えるお金はいくらでも捻出出来ますがなんでそれをしないんでしょうね。僕にはそれが一番わかりません。
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by youkeiexc | 2007-03-06 07:02 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

本音をはかれた時点で…

何故だか世間一般的に本音というものはとてもダークな印象を醸し出している。
大抵の場合それがある方向で考えれば「悪い方向」であると捉えられる場合が多いからだ。
しかも「だって本当の事じゃん」と言う言葉のつけ合わせとして
「本当だからって言って良いことと悪いことがある」と言うものが存在する。

本音は吐かれても仕方がないものと今は考えるようにしている。

それは相手が良い感情を抱いていない証拠でもあるからで、もしそうでなければもっと他の方面からのアプローチのようなものを相手の方から示してくる確立の方が多いからである。

だから本音をはかれたらおしまいである。
だからといって嘘つくことを奨励しているものでないことは言うまでもないが。
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by youkeiexc | 2007-02-22 23:00 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

サンフレッチェ優勝しませんでしたね。

バナーを張ってたのをきっかけに簡単に失礼。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/data/rank/rank_j1.html
ではサンフレッチェ10位ですか…。
で、いつ優勝が決まるんでしょうか。
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by youkeiexc | 2007-01-18 21:44 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

鬼の首 親の仇

今日はとても気分が良いんですよ。
なにせauが携帯電話国内ナンバーワンになったわけです。と言うので気分が良いんじゃないんです。

いきなりですが、ソフトバンクが携帯電話事業に取り組むことになったと言うんでしょうか。ソフトバンクになるまでの簡単な歴史を振り返ってみましょうか。
そのまえにMOVAがドコモ、セルラーがauになったというのは知ってますね。
ただある一社は…
TUーKAからその一歩を踏み出しますがあまりにも通話範囲が狭いということで当時PHSの親玉と言われていました。その後JーPHONEとなります。その当時はよくJーなんとかって付けるのが大変はやりました。JリーグとかJデッカーとか。そんなことを思いつつ月日が過ぎること数年、ボーダホンに買収され社名もボーダホンになります。このころから通話品質よりもサービス面の強化(だけって言った方がいいくらいかも)をはかるようになり写真を撮ってそれをメールに載せる「写メール」で他社に大差を付けますが、それが他社に広まるのは時間の問題でした。やがて「写メ」と略され多くの人たちの間でそのサービスが使用されるようになります。いまではPHSでも「写メ」は当たり前になりましたね。それからドコモとのサービス合戦に終止します。そのあいだにauが「ドコモとボーダホンの通話品質が気にくわない」人たちの間で密かに力を付けてきますが、サービス面では当然のように「ボーダホン」は君臨しつづけます。iモードのドコモ、通話品質以外のサービスで一世を風靡しつづけるボーダホン。あっ。そのまえにiモードも違う形であれ他社に普及し出して浸透してますよね。
そしてボーダホンはソフトバンクへと名前を変えましたが、いきなりの新プラン提示によりシステムが大混乱。ここで今まで通話品質以外のサービスで築き上げたものを半ばパーにしました。
ここまでで4回名前を変えています。
小生ははっきり言ってこんな所を信用する気はまったく起きません。「そらみたか」とまで言うのではありませんが、「携帯」と言えども基本は電話機です。通話に支障を来してしまうような所なんか信用に値しません。

ざまーみろ。
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by youkeiexc | 2006-11-09 23:07 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback(1) | Comments(0)

ほら、肉は贅沢品でいいじゃないか。

やはり昔の日本食といいますか和食が健康にいいというのはある本からしてよくわかりました。

突然何をいわんとするやと言う感じですが、牛丼といえば吉野家
と言うことでいきなりですが、肉に関する話をします。
とか言った所で簡単に言うと菜食主義になりなさいって言うようなものなんですけど、やはりお肉はたまに食べて楽しむ物とした方が良いようですな。
よく菜食主義の方向にいらっしゃる方は人の事を否定しすぎる傾向がある感じがしてなりません。
僕なんかね、「平和行進に参加するような人間が牛なんか食べちゃいけない」なんてね、聞いた時はすっげー根拠が無いって話じゃんと思ったわけですよ。実際に考えられる根拠は今も分からず仕舞いなんですけど、それはいいんです。
何が言いたいのかって言うと

無理に牛肉輸入再開なんかしなくて良い

って事です。いっそのことアメリカからの牛肉は輸入しませんっていえば良い。
安保は安保。牛肉は牛肉です。
昔アメリカが「日本人は自分の意見を言わない」なんて事言ってたんですからある意味自業自得です。

僕はすき屋が豚丼(「とんどん」と呼ぶ)を出したときにはものすごく感動したことを覚えています。でもね、すき屋って牛丼ダメなんですよ。そのかわり味噌汁がうまかったりするんですよこれが。そんなすき屋が牛丼に代わる手を打ってきて出てきたのが豚丼ですから。よくやった。今更ながらに褒めてやりたいです。しかもネギ大盛りのものもあるし。

でね、昔牛肉って贅沢品って言われてたんですよ。特に牛ステーキなんかあこがれの的で、お金持ちになったら喰いにいくぞーーなんて言っていたものです。それが今やあまりにも身近過ぎる。もっと遠くてもいいです。よくよく見たら輸入物…。
実は知っている人は既に知っていることですが、牛肉は「畑のキャデラック」と言われており燃費の悪いキャデラックの様に畑を喰い尽くす割には「製造効率」が悪い物と言われております。それと本来牛は草食動物で草を喰むものなんですが、霜降り肉を作るために穀物を食べさせることをしてみたり同種の肉を「共食い」させて見たりする事もあるそうです。
霜降り肉といえば今現在の概念では良い聞こえですが、言うなれば脂肪まみれの筋肉ですからそう考えるとどこがいいのかと言うことになってくるはずですが、それをいちいち考える人は極小数でしょう。
現実問題そうです。
ちなみに現実というものは「過半数以上が認める現象」と言う意味で、少数が認めただけのものは「現実」とは呼ばれません。また「過半数以上が否定」すれば「現実」として認められないものなのです。

肉が悪いと言い切ってしまえば今の大方の人の食生活を否定するばかりでなくそれにかかわるもの全てを否定するという諸刃の刃でもあります。
否定するのはとても簡単ですが、それに伴った行動はそうそう出来ない場合が多いものです。
時に楽しみ程度にとどめておくのであれば全否定をする必要は無いと思います。
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by youkeiexc | 2006-10-30 23:25 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback(1) | Comments(0)

今の楽曲には何が無いんですか?

以前「アニソンばっかり持ち上げててめーはキモい奴」と言うコメントがありました。それを根に持っている訳では無いんですが、仮にもアニソンを持ち上げる要素は多くあるからです。
逆に言うと今の邦楽は持ち上げるどころか聞くに値しない物が多くあり、また批評を書くために聞くのはとても苦痛でもあります。今の邦楽は「邦が苦」と書いても差し支えないくらいです。
一時期の低能な楽曲、昨今の無個性な楽曲はもう仕方無いのでしょうか。
さらに「ジェネレーションギャップ」として片付けるしか無いのでしょうか。
そして「電車男」をかわきりに始まった萌のブームがあるのにいまだに質のいいアニソンがチャートで日の目を見ないのはどういうことでしょうか。

今までここで書いたことを総括すると繰り返しになりますが、小生は音楽業界が潤っていた当時、数々の「アーティスト」から教養を学んでいると自負しております。それは歌詞からまたはその曲に対して語ったこととか、そして「かっこよさ」とか。
邦楽界は入れ替わったといえば聞こえがいいのですが、昔の歌手にあった物が今の邦楽にはまったく無いのです。確認が出来無いのです。
敢えて個性があるとすれば
BENNIE K
中の森バンド
宇多田ヒカル
あと…KOKIAぐらいでしょうか。
ここまで挙げられるようにたどり着くのには大変でした。
ただひたすら辛抱した、待ちつづけただけなのですから。こんな邦楽界に誰が下と言いたいです。

いまだに心に残っている話があります。
例えて言うと
「ミュージックフェアで長淵剛氏が最後の曲で弦を切っても歌いつづける」
位に印象的なものといっておきましょうか。
数年前に衛星放送で大黒摩季氏のライブを夜中にかかわらず途中から全部見た事を話しました。ライブの途中大黒氏が少し面白いことを言った所がありまして…そうです。MCって奴です。その面白いことをみんな「真剣」に聞いていました。今聞いたら「絶対笑う所なのに…すべったね。」こうなるでしょう。または「そこ笑う所。笑いのセンス無しやなぁ。」になっていたかもしれません。
でも違うんですね。大黒摩季氏は歌手です。そんなの知ってる人なら「当たり前」の事ですね。少なくとも「面白いこといって笑いを取る」人ではありません。歌手は歌うことが本分です。たまのMCをちがう趣で聞く。
本人も真剣ですし、聞く人も真剣です。
が、仕事をしたりする真剣さとはまったく違いますが、ライブというものはそういうものですし、音楽を聞くということもそうでありたいものです。
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by youkeiexc | 2006-10-11 23:06 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

ちゃんとした曲ってなんですか。

最近の曲はこれだから…と半ば「近頃の若いもんは」のような使い方をしているのだが、「ちゃんとした曲ってなんですか?」と言う事になるとそれは大きな問題となる。それは誰の基準で「ちゃんとした」物になるのかということである。

ちゃんとした事って言うのは考えてみると、とてつもなく曖昧で危険な言葉である。
良く先生が「ちゃんとしなさい」って言うでしょ。
どうせだったら
「このようにしなさい」とか
「ああいうふうにしなさい」とかって言えば分かるんですよ。
なりふり構わず良く怒る先生ほど「ちゃんとしなさい」って言ってません?
理屈が通ってないんですよ。屁理屈は言う癖に。

それはどうでもいいんですよ。
とうとう今日は「ちゃんとした曲」がどういうものであるかの答えをふと思いつきました。
それは
「かっこいい曲」とか
「美しい曲」とか形容できるものです。
僕には今リリースされている曲の多くに美しさを感じません。
だからといって一時期持ち上げすぎて一部の非難を食らったアニメソングにそれがあるかといえばそれは一概に言えません。
しかし今の多くの楽曲にはものすごくたりない物が多すぎるような気がします。聞きつづけると心の栄養不足がおきやしないかと心配をします。
某所では歌う人の精神年齢が足りないとかと言ったことがあります。
あまりにも地べたに座りすぎるんです。だから美しくない。
格好があまりにしまってない。たからカッコよくもない。

しかし僕が「否定している現実」は一見するとみんなに受け入れられている現実と取ることが出来ます。
つまり僕が美しさを感じない曲がヒットしているのが現実です。
しかし
それは「いい」のでしょうか。
「それでいい」のでしょうか。
高いレベルのものを提示してそれで感化を促すのが本当ではないでしょうか。

音楽は自由であるべきです。
曲を発表するのも自由ですが、
曲を聞くことも自由です。
その前にやってほしいことが「ちゃんとしたものを届ける」事だといえます。
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by youkeiexc | 2006-09-30 23:04 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

崩壊する理想

http://chicago.livedoor.biz/archives/50600436.html?1158097468

と言うところで先生が信用できないって話を見つけたもんで、久々にネタにします。
日本には本音と建前と言うものがありまして、大抵の場合
本音は悪い方向の意味を持ち
建前はきれい事を示す意味を持ちます。
「建前ではこうでないといけないけど本音はねぇ」と言うのが日本人の最大の欠点として数年来欧米の方々から特にバッシングを受けていたことはまだまだ記憶に新しいところです。さてその建前は別の方向で「日本の美学」を保ってきた役割も有りました。もっと正確に言うと本音をべらべら喋らないというのがそれにもっとも該当しそうですが。さらには曖昧という言葉があります。これも国際社会の場では欧米の方々から特にバッシングを受けていたことまだまだ記憶に…そーか今まで日本人って欧米の方々に否定され続けていたんですね。
建前を高らかにしなくても
本音で言い合わないで程々の間隔で曖昧にする。
これは一見悪いように思われます。
だってね、ガソリンスタンドで
「10リッターでもなく20リッターでもないが満タンにしないでくれ」みたいな曖昧な注文されてご覧なさい。いや、こういうのただのわけがわからないっていうんですけどね。
でも
「メーター半分なんですけど、どのくらい入るかしら」
みたいな事いわれてはっきり「15リッターですね」なんていえますか?

日本人には
建前と本音を使い分けたり
間接的に本音を伝える方法とか
物事と物事の間で丁度いい調整をしたり
する器量があるわけです。
欧米の方々にはそんな器量云々どころかそれを必要としたこともありませんし、そういう考えを持ちません。一種のカルチャーショックが今まで続いていたわけです。
ところが数年来そこに隠れていた美学とか良い点とかをみつけることなく欧米に叩かれるがまま日本人自身が「改革」を行ってきました。そのあとです。欧米人に日本の美学をしらしめる羽目になったのは。

さてね、建前っていうのは理想論ともとれる所あるんですよ。
建前を実現できればいいんですけど、建前は建前です。
ですが、最近はその美学が感じられないんですよ。
だってね、目標としてりゃあいいのに「憲法9条は時代にあわない」っていう人いるし、その半面やってくれなきゃいけないことは「辞めーー」って言ってる人いるでしょ。政治でもその他のところでも日本的美学ってあったはずなんですよ。
今はないね。どうせ経済に変換する器量しかないから。
いつから「金」のことしか考えなくなったかねぇ。
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by youkeiexc | 2006-09-13 07:11 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(0)

あゆかぶり〜愛内里菜が浜崎あゆみに絶対的に勝てない訳

今日久々にミュージックステーションをみまして…びっくりしました。
ある種、恐怖の競演でした。

http://www.tv-asahi.co.jp/music/contents/lineup/0843/index2.html
より

V6
平井堅
浜崎あゆみ
福山雅治
YUI for 雨音薫
宇多田ヒカル
愛内里菜&三枝夕夏(コーラス:スパークリング☆ポイント)

愛内里菜と浜崎あゆみが競演である。

愛内里菜については見た目が「あゆかぶり」な事は一部の方には常識的な事であろうか。そんな事は今はどうでもいいが、こんな推測が飛んでいた事だろう。
愛内里菜を売り出すに当たって「あゆかぶり」でやると浜崎あゆみファンが間違ってその曲を「あゆ」の曲と思いこみそのファンを愛内里菜のファンにできる。ところが浜崎あゆみよりあほではないのかそれが話題にならないせいなのか愛内里菜がチャート上で優位という感は全くない。むしろ苦戦しているに違いな意図すら思えてくる。

実を言うと倉木麻衣と同じレコード会社で倉木麻衣もにも似たような事例がある。
宇多田ヒカルだ。この件に関しては宇多田ヒカル本人も「私こんな曲出してないよ」と不思議がったという経緯がある。
ほかにもTRFとglobeがかぶっていたという事もあった。

何があってもバッタ物はバッタ物、本物は本物である。
本物からバッタ物ができてもその逆は通常無理としか言いようがない。
少なくとも浜崎あゆみのファンは浜崎あゆみの曲を聴くファンなのであってそれにムードの似た愛内里菜なんぞ相手にしている暇はないのだ。
よく音楽は「相対性」のものと考えているが
本物を聞くかバッタ物をつかむかという事においては「絶対的」なのである。
これにおいては本物が何をしているかをチキンと知るところから始まる事は言うまでもない範疇であろう。
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by youkeiexc | 2006-06-16 21:29 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback(1) | Comments(0)

鉄のかたまりという言葉

今の「乗り物」という文明を否定する際よく使われた言葉が
「鉄のかたまり」である。

飛行機が墜落した。
自動車が大破した。
電車が脱線した。

ほかにも「鉄のかたまり」と例えられるものは多々あるが、
飛行機が飛ぶのも
自動車が走るのも
電車がレールに沿って進むのも
科学と人間の力で成り立っている。

とにかく鉄のかたまりという言葉は散切り頭までの文明開化にはついてこれたののそれ以降はどうでもいいという考えの持ち主がよく使う。
これは今すぐそういうものに頼る生活をやめろと言っているだけにすぎない上にそれまで成り立ってきた文明を否定している。そのうちこういう人が「やれどこかつれてけ」などという事が多くなるわけだから「全く近頃の年寄りはろくでもない」という言葉につきる。

そうは言いつつも日々の努力無くして平和な「鉄のかたまり」が紡ぐ文明はあり得ない。それは言うまでもないが、特にその言葉の標的になる交通機関、安全がおざなりになっているという話は多く聞く。何しろお客を乗せ乗り物を動かしてその対価をいただくのが営みである以上は安全に運営を図る事が必死である。それと同時に儲からなければ路線を廃止せざる得ない。お客が乗りもしないのに乗り物だけを動かす事は何もやっていないのと一緒である。
といったところでそういうものにも少なからず「それに乗らなければならない」需要と言うものがある。しかしその声というのは当然のごとく無視されてきた事は今に始まった事ではない。

安全と儲けは実は絶妙なバランスが成り立たないと両方とも達成できない。
安全のために儲けが吹っ飛ぶ事は企業として言語道断だし、
儲けのために安全は第二というのではその先は危うい。仮に今はよくても必ずその悪い事は起きる。
昔はどんな田舎でも軌道系交通機関を敷いては運営をしていた。時としてバス路線にはその名残があったりする箇所が全国にはたくさんある。今みたいに自動車を持つ人が多くなかったからどんなところでも線路が敷けたし、儲けも出していた。そういう情勢でないから今は厳しいという話になっているのだ。今の車社会を否定してそこから改革を起こす…つまり車に頼らなくても一定の生活が営む事ができる社会を作り上げる…にはまだまだ相当数の年月がいるだろうが、ハイブリッド車ではしゃいでいるうちは実現は絵空事である。とにかく事故を起こさないように儲けの一部を投資しなければならない。それは人員強化を含めての事でもある。
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by youkeiexc | 2006-06-03 21:36 | ぶっちゃけリローテッド | Trackback | Comments(1)