今の「乗り物」という文明を否定する際よく使われた言葉が
「鉄のかたまり」である。
飛行機が墜落した。
自動車が大破した。
電車が脱線した。
ほかにも「鉄のかたまり」と例えられるものは多々あるが、
飛行機が飛ぶのも
自動車が走るのも
電車がレールに沿って進むのも
科学と人間の力で成り立っている。
とにかく鉄のかたまりという言葉は散切り頭までの文明開化にはついてこれたののそれ以降はどうでもいいという考えの持ち主がよく使う。
これは今すぐそういうものに頼る生活をやめろと言っているだけにすぎない上にそれまで成り立ってきた文明を否定している。そのうちこういう人が「やれどこかつれてけ」などという事が多くなるわけだから「全く近頃の年寄りはろくでもない」という言葉につきる。
そうは言いつつも日々の努力無くして平和な「鉄のかたまり」が紡ぐ文明はあり得ない。それは言うまでもないが、特にその言葉の標的になる交通機関、安全がおざなりになっているという話は多く聞く。何しろお客を乗せ乗り物を動かしてその対価をいただくのが営みである以上は安全に運営を図る事が必死である。それと同時に儲からなければ路線を廃止せざる得ない。お客が乗りもしないのに乗り物だけを動かす事は何もやっていないのと一緒である。
といったところでそういうものにも少なからず「それに乗らなければならない」需要と言うものがある。しかしその声というのは当然のごとく無視されてきた事は今に始まった事ではない。
安全と儲けは実は絶妙なバランスが成り立たないと両方とも達成できない。
安全のために儲けが吹っ飛ぶ事は企業として言語道断だし、
儲けのために安全は第二というのではその先は危うい。仮に今はよくても必ずその悪い事は起きる。
昔はどんな田舎でも軌道系交通機関を敷いては運営をしていた。時としてバス路線にはその名残があったりする箇所が全国にはたくさんある。今みたいに自動車を持つ人が多くなかったからどんなところでも線路が敷けたし、儲けも出していた。そういう情勢でないから今は厳しいという話になっているのだ。今の車社会を否定してそこから改革を起こす…つまり車に頼らなくても一定の生活が営む事ができる社会を作り上げる…にはまだまだ相当数の年月がいるだろうが、ハイブリッド車ではしゃいでいるうちは実現は絵空事である。とにかく事故を起こさないように儲けの一部を投資しなければならない。それは人員強化を含めての事でもある。