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あの感想文には続きがありました

以前「電波男」の読書感想文を披露したが、あの文章にはまだ続きがある。

昔小学校の音楽の授業で海援隊の贈る言葉を習った。
なんの事はない、かの有名な金八先生といえば…と言うぐらいセットであるほど有名であるが、この歌詞の一部に驚愕した事があった。
何処でも公開されているようなのでここに全歌詞を引用する。

暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉
悲しみこらえて 微笑むよりも
涙かれるまで 泣くほうがいい
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから
さよならだけでは さびしすぎるから
愛するあなたへ 贈る言葉

夕暮れの風に 途切れたけれど
終わりまで聞いて 贈る言葉
信じられぬと 嘆くよりも
人を信じて 傷つくほうがいい
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから
はじめて愛した あなたのために
飾りもつけずに 贈る言葉

これから始まる 暮らしの中で
だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを
深く愛した ヤツはいない
遠ざかる影が 人込みに消えた
もう届かない 贈る言葉
もう届かない 贈る言葉

考えようによっては今の時代に「これをやったら」危険という物もあったりする。
こういう物は時代を反映する物なので今に当てはまらないのは当たり前である。しかし歌なので今の時代にあった音にして歌って良い事は「FLOW」が証明している。
と言いながらも三番目の歌詞には普遍的な物を感じない事もない。

さて驚愕の歌詞の事である。どれの事になるかおわかりだろうか。
ヒントとして、その当時の小生というのは将来に対してものすごく恐怖感を覚えていた。それは年金云々、国民保険云々の話が始まる前からの事だ。人に対してはそれがものすごく強かったと記憶している。
そんな奴があの歌詞の一部に驚愕した。それは…
求めないで 優しさなんか
臆病者(おくびょうもの)の 言いわけだから

である。

優しさを求める事は臆病者のやる事なのだ。
ところが恋愛とかに関しては一時期は「やさしさ」がもてはやされた時期があったのだ。
その当時は「優しさの時代」といった事もあり「心の時代」といった事もある。それは丁度バブルが崩壊した頃より数年後の事である。
やさしさにひかれ結婚までを考える。ならば相手が急に豹変したらどういう事になるか。
あの書には「負け犬」女が豹変する例を描いている。
何もないただ優しい男は「負け犬」の前ではただの奴隷に成り下がる。

優しさってなんだろう。
臆病者が求めるだけの物だろうか。
ところが「電波男」では優しさで恋愛が成就するとは書いていない。
では何がどうなのか。
共通の物が必要である。
たまたま「電波男」ではそれをおたく趣味であるとして取り上げていた。またはそれを理解する事であるともといている。
早い話、お互い趣味が合えば優しさなんぞはあとからオプションでついてくるような物なのだ。
また、趣味があっても認め合わなければなんにもならないから相手の趣味を認める事も必要である。それは自分はやらない場合である。

その理論からして何度も繰り替えずが「電車男」は事件なのである。
悪く言われながらも他人に全くの危害を加えないどころが市場を築きあげている「真の意味での新しい時代の人」を欠点だらけの世界の住人へと戻すのはとても好ましくない。
昔ヒッピーとかの時代があった。その人達は歴史に名をはせた。
今オタクという人たちがいる。きっとそういう人たちも歴史に名をはせる事になるだろう。
悪い言われるか否かは今の努力次第であるが、もう一度オタクが叩かれる点を我流に整理してみる。
とても簡単な事だ。
アニメである。
いまだにアニメは日本の文化と言われながらも大半の人がそれに全く賛同すらしていないと言って過言ではない。もっと言えばアニメは日本の恥さらしであり、その元がオタクであり、もっと簡単に言うと、「いい年扱いてアニメかよ!」

最後に今オタクが多くなっている理由は
優しさを求めようにも現実に転がっていないからだ。
優しさを求める事は臆病者かも知れないが、
優しさを求められないのは悲惨であり、悲劇である。
by youkeiexc | 2005-10-14 23:19 | ぶっちゃけ→他事騒音 | Trackback | Comments(0)
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